書くということ

最近は色々な出版社から連載や読み切り記事の執筆を依頼されることが増えてきました。しかし、ほとんどの依頼は断るようにしています。私はプロの書き手ではないし、何より自分が面白いと思えるものにしか興味が持てないからです。

楽しく書くというのは、生業としてのライターでは無理だろうと思います。私はお金のために書くという事はしません。だから、今まで書いた記事や取材について私自身は1円も手にした事はありません。

執筆を依頼されるときには、素人の私に対してでも高額な報酬を提示してくれますが、お金のために書くとなれば、それは趣味ではなくなってしまいます。

私にとって「書く」という行為は情報や知識、経験を論理的に整理する作業であるとともに、人生の一部分を記録する行為でもあります。SPA!の連載を始めたのは、膨大な情報の中に埋もれてしまうウェブより、物理的な紙媒体に記録を残したかったからです。

それに趣味として書くことと、発言の場を紙媒体に持つことには大きな意味があります。インターネットの普及で、誰でも簡単に記事を掲載できてしまう現代では、紙媒体に発信する機会はとても貴重だと思います。

SPA!の連載も私にとっては趣味であり、論理的思考のトレーニングだと考えています。西原理恵子さんと同じ誌面を作れることも貴重な経験であり、単行本化も楽しみです。それでも、自分で書くことが面白くなくなったと感じたら、やめる時だと思っています。

ウェブ上に書くのはブログとツイッターで十分ですが、最近は純粋な文学作品も書いてみたいと思うようになりました。あくまでも趣味ですが。

和歌山射殺事件

溝畑泰秀和歌山市の立てこもり事件のせいで寝不足です。2丁拳銃ぶっ放しながら逃走の末に立てこもり、最後は自らを撃って死ぬという、まるで映画のような展開でした。

気の毒だったのは和歌山県警ですね。このように凶悪でアグレッシブな事件に慣れていない上、相手は武装したポン中ですから、現場も混乱していました。

しかし、警察組織のシステムと世論を考えれば、それも致し方ないと思います。拳銃を持った犯人が逃走している場合、まず警察が考えるのは一般人の安全確保です。

これは交通警察も同じで、違反車両が逃走した時に無理な追尾で一般人を巻き込む事が無いよう「深追いしない」という規定があります。もし、追尾中に逃走車両が一般人を巻き込む事故を起こし、死者でも出せば現場の警察官はもちろん、上司まで処分ものです。

仮に立てこもり事件で犯人を射殺していたら、マスコミと世論は「射殺の必要性があったか」を追求します。逆に現場の警察官が犯人に射殺されていたら「対応の不手際」を追求されるでしょう。どちらにしても警察は非難され責任の追求を受けます。

今回の事件で警察が大きな失敗をしていたら、最終的な責任は和歌山県警本部長にまで及びます。だから指揮官も責任を負うことを恐れ、命令を上に仰ぐため現場は動けず膠着しました。

事件の結末は犯人の「自決」で完全解決とはいきませんでしたが、逃走中と立てこもり中に他の怪我人も出ず、まあ良かったんじゃないでしょうか。

和歌山県警の対応が「後手後手」にまわったとの批判は当然だと思いますが、県警は「適正な対応だった」と答えるしかないでしょう。

2丁拳銃のポン中というモンスター相手に奮闘した和歌山県警の皆さん、ご苦労様でした。